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應典院

お寺という空間でアートが提起するもの

 お寺がアートとのコラボレーションに取り組んでいる。そこでは、「アート=芸術作品」という狭い解釈にとどまらないアートの本質を感じることができる。

應典院外観

應典院外観

 コンクリートに大きなガラス窓という外観、演劇ホールの機能も持つ円形の本堂は、一見「お寺らしくない」建物だ。
 應典院はもともと、大蓮寺の塔頭(たっちゅう)寺院として建てられ、近世には寺子屋がおかれるなど、地域の人々が学び集う場となっていた。大阪大空襲で焼け落ちたが、大蓮寺創建450周年と戦後50周年という大きな節目を迎えるにあたり、再建の話が持ち上がった。
 都心部でお寺が孤立した存在になっている昨今の状況、直接檀家を抱えていないという事情、かつて寺子屋として栄え多くの人たちが集っていたという歴史をふまえた結果、今を生きる人々の為の民間による新たな公共空間として機能することを目指して1997年に再建された。

 現在は、演劇や美術などのアート、まちづくり、福祉など、活動は多岐にわたり、地方自治体やNPOとの協働事業も多く行なっている。

 なぜ、「お寺」が「アート」に取り組むのか。 アーティストが作品を制作する契機や過程、もしくは完成した作品自体には、生きることへの問いかけ、日常生活を送る上で感じる様々な感情が折り込まれている。芸術は、決して別世界で産み出された絵空事ではなく、一人の人間の思いが込められた表現なのである。それが、生きることを見つめる、という應典院の姿勢と深く結びつき、同時代を生きるアーティストたちと交わり、ひとつの場を作ることに繋がっていく。 特に、2000年から行なわれているアートを中心としたイベント『コモンズフェスタ』は、特徴的である。2009年は「減災」をテーマに展開し、展示された作品はどれも興味深く、単に観て楽しむためだけの作品ではなく、考える契機を与え示唆するような作品が多い。

 例えば、「非常時の為の素振り」と書かれた紙と共に、かさ、バケツ、ブルーシートなどの様々な日用品が天井に吊られた「作品」は、それらの日用品が、災害時に必要な道具となるように応用できるかを観る者に 問いかけている。来場者からのアイデアが描かれた用紙も展示されていた。
 また、新潟県中越地震の被災地となった集落の風景を撮った映像作品は、わたしたちに風化していく震災の出来事をどう考えていくべきなのか、という問題を投げかけてくる。効果音もストーリーも無く続く静かな映像を、じっと佇んで観る人も多くみられた。

<中央>小山田徹によるインスタレーション<左>展示風景。左の窓からはお墓が見える<右>remoによる映像上映

<中央>小山田徹によるインスタレーション
<左>展示風景。左の窓からはお墓が見える  <右>remoによる映像上映

 應典院の取り組みについて、主幹の山口洋典さんに話を伺った。

Q コモンズフェスタを始める事になったきっかけは?

山口:應典院という空間に興味を持ってくれる人が現れ、福祉関係の写真展の開催を打診されたのが最初のきっかけです。写真展と一緒にトークや関連イベントができないか、などを考えていた時に、考えや思いをシェアする「共有の場所、共有地」というキーワードが出てきました。たとえ良い空間を持っていても、多くの人に活用されない限り、その空間の価値、ひいては文化というものは生まれにくいと考えます。 1997年から演劇だけでなく、音楽などパフォーマンスも含めた舞台芸術祭を企画し、アーティストたちの表現の場を作ってきました。
2000年からは、プロデューサーに現代美術家を起用し、一気にアート色が強くなりました。我々も、アートの手法で見慣れた場所が未知の空間に変わっていく、そこにこそ価値や面白さが見いだせるだろうという感覚を持ちました。

Q 2009年のテーマは「減災」という普段アートでは取り扱われにくいものがテーマとなっていますが、なぜでしょうか。

山口:2006年度に二年ぶりに開催したコモンズフェスタの開催時期を、従来の11月から1月にずらしました。1月という時期は、関西に住む人々にとって、阪神淡路大震災という避けて通れない大きな傷跡があります。應典院は、上町大地の活断層上に位置し、再び同レベルの震災が起こった場合、4万2000人の死者が出ると見積られています。これまで積極的に扱ってこなかった防災という、誰もが大切だと疑わない生活に密着した課題を、アートを用いて共に考える場を持ちたいと考え、應典院流に取り上げることにしました。
一貫して変わらない事は、アーティストが関わったり、こういうものがおもしろいのでは、とそれぞれの時間と空間をつかって想いがかたちになっていることですね。

Q 参加するアーティストたちの反応はいかがですか?

山口:場所の力がある、と言われます。ここは1997年に建てられましたが、ガラス張りのロビーからは神社の境内やお墓が見えて、時間的な物語の中に身を置いているような気持ちになったり、コンクリートという無機的な空間の中で、そこに流れている時間や生命の意味を改めて考える事が出来るのかもしれません。そういった経験が、自ずと作品にも表れるようです。

Q 山口さんご自身のアート感とはどのようなものでしょう?

山口:手技、創意工夫の現れ、でしょうか。作品を見て、そこから何かリアクションができる事が大切だと思います。また、表現したアーティストの想いを「正しく」解釈しようと努めるのではなくて、自分なりの解釈を見つけていくことが一番大事だと思います。作品に埋め込まれたメッセージを、自分なりに紐解いて、受け取り、何が生まれたのかという事の方が重要ですね。

 人々が「生きること」を実感し、自己と向き合っていく時間や方法を提案していく應典院。そのような場所で提案されるアートは、作品そのものよりも、その根底にあるメッセージに気づくことに意味がある。アートの役割とお寺の役割は、よく似ているのかもしれない。

本堂でのトークの様子

本堂でのトークの様子

筆者プロフィール
木坂 葵
1978年生まれ。神戸大学文学部卒業。在学中より大阪のアートNPOにてコーディネーターとして勤務。その他、関西を中心に美術の裏方業務経験を積む。現在、水都大阪2009 アート部門キュレーター。