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大阪の夏まつりの楽しみ方

 ”大阪の祭りといえば、夏祭り”

夏越
 7月は大阪の夏祭の季節である。
 7月となればまずは仏寺の祭りである愛染堂の「愛染祭」に始まり,ほぼ連日のごとく市内のどこかで祭囃子が鳴り響き7/11・12には神社の夏祭の筆頭・生国魂神社の「生玉夏祭」、7/24・25には日本三大祭のひとつである大阪天満宮の「天神祭」、そして7月の終わりには住吉大社の「住吉祭」に至り、遂に大阪市内のおびただしい数の夏祭に終止符が打たれるのである。
 大阪市内は本当に夏祭の多い地域である。大阪と並ぶ江戸時代の三都、江戸(東京)・京都は春祭や秋祭が中心で夏祭はそれほど多くない。
京都などはほとんど、祇園祭オンリーといった感じもある。京都などは年間で100の祭りをやっていると祭りの多さを豪語するが、大阪は市内に は100ほどの神社がある。つまり小規模なものも含めると100ほどの夏祭りがあるということになる。大阪の祭りが夏に集中しているのはやはり都市の祭りであるということだろう。

 都市は農村に比べればはるかに過密な場所であり、ひとたび伝染病などが流行ればとたんに街全体に広がってしまう。こうした病気などから逃れる手段として盛大に祭りを行い祓い清めたのである。またこれは神道の夏越大祓とも連動した。神道では年の真中の6月の終わりと、年末の大晦日の年2回に半年ごとに人々の罪穢れを祓い清めるために大祓を行なった。
 特に6月晦日の夏越大祓は夏であるので夏の伝染病予防の意味合いを強く持つものであった。これは伝染病等が流行りやすい都市の欲求に答えるものでもあり、伝統的に都市たる大阪では夏祭がいっそう盛んに行なわれると言うことができる。祭りの名称にしても坐摩祭が坐摩御祓であるとか、天神祭が天満御祓だったり、住吉祭に至っては単に「おはらい」とだけ称したぐらいで、大阪の夏祭は夏越の祓いと直結したものだった。
生玉夏祭神輿宮出 生玉夏祭報知太鼓(枕太鼓)お練り
天神祭鳳神輿宮入 天神祭鉾流神事行列 天神祭龍踊


”大阪は「祓いの聖地」”

  これに加えて大阪の場合は「祓いの聖地」としての意味合いもあるように思える。都市だから夏祭が多いというのならば、東京や京都や他の都市も夏祭を多く行なうはずであるがそうではない。これは古来より大阪が都市以前に持つ祓いの斎場としての機能を持つことに関係があるように思える。
 摂津一之宮でもある住吉大社は祓い清めの社であり上記の通り夏祭である住吉祭は単に「おはらい」と呼ばれることすらある。著名な天神祭も元は陰陽道の大将軍神の七夕の祓いの神事であったと言う説もある。京都で疫病神を祓う祭りを行なった後にその疫病神を鎮めた神輿を大阪まで運び大阪湾にに流し祓い清めたという話もある。また伊勢の斎宮は任期が終わり京都に帰還する際には途中回り道をして大阪に立ち寄り禊を行なってから京都に帰ったともいう。すなわちこれは大阪の地が元来祓いの聖地であることを物語るものであり、このことが大阪に夏祭を集中させる遠因となっているのではないかと思える。 祭りというものは地域によって特色があるものだ。大阪の夏祭もやはり特色がある。 またそれが祭り見物のおもしろ味にもつながっていく。 そこで、今回は大阪の夏祭の特色と見所について紹介をする。
住吉太鼓神輿大和川渡 住吉祭神輿太鼓橋渡 住吉祭夏越大祓


 ”岸和田だけではない「だんじり」”

 大阪の夏祭は地域を挙げての氏子祭りである場合がほとんどなので、地域からいろいろな出しものが出されるが、大阪でもっともポピュラーなのはやはり「だんじり(地車)」だろう。秋の岸和田だんじり祭の影響もあり有名になっただんじりであるが、だんじりは大阪府内全域に渡って広く分布するものである。しかし、だんじりといってもその場所地域によって特色がある。
 大きくは「上だんじり」と「下だんじり」にわかれ、下だんじりは岸和田などの泉州地区分布するもので、有名なやり回しなどを行う。一方の上だんじりは、泉州以外の地域に分布するもので「かたせぼう」なる担ぐための棒がついているのが特色で、この棒に肩を入れてだんじりをグルグル回転させる「マイマイ」や、「ぶん回し」などを披露する。大阪市内のだんじりも「マイマイ」を行うのでやはりマイマイを行う時がひとつの見所となる。 また市内のだんじりはお囃子に合わせてだんじりの屋根の上や、だんじり前に架設される舞台などで踊られる、「龍踊り」も見所である。龍の昇天するさまを踊りにしたものとも言われ複雑に手首を腕を動かしつつグネグネと実に不思議な動き見せながら踊られる。アップテンポかと思えば超ローテンポになったり止まったりもする。本来の大阪のノリを垣間見せる。
杭全神社平野郷神輿宮入 杭全神社平野郷マイマイ


 ”太鼓台に注目!”

御霊祭うつぼ太鼓
 大阪でこのだんじりとともに双璧をなすのが太鼓台であろう。これも大阪府内に広く分布するが、大阪市内では赤い枕のようなものを太鼓の前後にのせた「枕太鼓」と、座布団型の布団を屋根に見たてた「布団太鼓」にわかれる。大阪市内では圧倒的に枕太鼓が多い。この太鼓台はもともとは神社の神輿が出る際に神輿を先導するのが本来の目的だったようだが、今では祭りを賑やかにするために、神振行事として他の出しものとともに氏子町内から出されることもあるようだ。  この太鼓台の特色はなんと言ってもひとつの大太鼓を四人ないし六人で同時に叩くことだろう。この太鼓を打つとき独特の打ちかた構えかたをするのも大阪の太鼓のおもしろ味かと思える。また太鼓台を激しく横転させたり回転させたりと暴れ回るのも見せ場である。



”獅子舞と傘踊り”

傘踊り
  獅子舞もかなり特色のあるものだ。大阪の獅子舞は獅子の舞いだけでなく「傘踊り」と称するたくさんの踊り子部隊が加わり、天神祭などは数百名もの傘踊りの舞子がつくぐらいである。お囃子に合わせて小さな和傘を左右に器用に持ち替え、クルクル回しながら踊られる。また四つ竹なる小さな竹の棒がかちゃかちゃと打ち鳴らされる。これは祓えの所作であると言う説もあるが、大阪市内の獅子舞傘踊りはそもそもが伊勢大神楽から変形したものとの説もあるので、祓いにちなんだものや呪術的なものが混入していても不思議ではない。
これもやはり元は神輿の行列の構成員であったが、宵宮などは単独で巡行する。神輿のないところでは単独で巡行する。



 ”祭りのシンボル“神輿””

 最後に紹介するのは祭りのシンボルともいうべき「神輿」である。祭りといえば神輿というぐらいの全国的に非常にポピュラーすぎる感もあるが、この神輿の練り暴れる様はなかなか勇壮で、地域の独自性もありおもしろいものである。
全国的に神輿は「ワッショイ」という掛け声とリズムで担がれるが、大阪の天神祭などでは「ヨーイ、ヨーイ、ヨイ、ソーリャ」と声をかけながら担がれ、杭全神社の平野郷夏祭などでは「ヨイ、ヨイ、ヨイ、ヨイ、ヨイヤサー」とアップテンポに担がれる。この時に神輿は適度にユラユラと揺らされ神輿に取り付けられた鈴や飾り金具がシャンシャンと鳴り響くが、これは魂振りの所作でもある。これを激しく行うのが「暴れ神輿」となるが、たまに暴れすぎで金具を破損することもあるようだ。
  また神輿は他の出し物とは違い神事でもあるので、最後は暴れ神輿の時の勇壮豪快な姿とは打って変わって厳粛に粛々とした空気に変わって神秘的な御霊移しが行われ、祭りの静と動を垣間見せる。
枕太鼓海老江 野田えびす夏祭枕太鼓


”見所はやはり“宮入り””

 さてざっと夏祭の見所を紹介したが、一番の見所はやはり宮入である。時間等は各所によって異なるが、夕刻〜夜が多い。 だんじりは後輪を担ぎ上げ回転して「マイマイ」を行い女の子達は踊り狂い、太鼓台は横転・回転しながら境内をところ狭しと練り暴れ、獅子舞傘踊りは獅子の本殿拝殿等への打ち込みなどの暴れ獅子を勇壮に奉納して、夏祭のトリをとる神輿は暴れ神輿の本領発揮とばかりに境内を練りに練りたおす。 夜祭の雰囲気がクライマックスをよりいっそうに盛り上げるのである。
 

島崎 武(しまざき たけし)
NPO法人日曜大学理事として活動。大学で社会学を専攻しまちづくり研究をしているうちに地域の文化である“祭”にはまり、独学で研究を始める。
“天神祭を楽しむ秘訣”等の論文を数々の研究系会報誌に寄稿する大阪の祭専門家。