これは大阪城の写真です。大阪城というのは、もともと、昭和の初めに府民が少しずつお金を出し合って100万円で建てたといわれています。だいたい、全国でこれぐらいなんですね、城を府民、県民が建てたというのは。他にはないですね。そのことを考えると、なかなか大阪の人たちは元気良かったですね。
これは中之島公会堂の写真です。これは、企業家が「よし、それならやってやる」と言って作っていただいた、公共施設です。建設されて、ちょうど100年くらいですけども、今では大阪のシンボルとなっています。この公会堂のように生き続けるものを作ろうということで、サントリーの佐治さんが「よし、大阪のためならやってやるぞ」とこう言われて、私が天保山のサントリーミュージアムを設計させていただきました。「自由に思い切ってやれ」と言われたので、前にある大阪市や国土交通省の敷地も取り込んで設計しましたら、佐治さんはおもしろいからやってみろと。話をしましたところ、大阪市もそれに参画していただいた。だいたい民間の美術館の前の大阪市の敷地を取り込んで、また、大阪府も国も参加してくれるというのは非常に珍しいですね、全国では非常にめずらしい参加の仕方をしていただきましたけれども、こういう例があるかなと思います。
この公会堂を、実にうまく再生しまして、非常にきれいになりました。これは大阪の市民、府民がほんとに誇るべきものだと思っています。この中之島エリアは、日本でも私は超一流の場所だと思っています。
これは御堂筋の写真ですね。今の関市長のおじいさんが計画されて作られました。これも大変なものでありまして、幅43メートル、長さ4キロの道路ですけれども、このとき、たぶんセットバックしたところには多くの会社とか個人住宅あったと思います。それが、わずか2、3年でセットバックして道路ができたということは、画期的でありまして、大阪の府民には、非常に公共精神があったんだなと思います。この公共心を持っていた人たちが亡くなって、我々がそれで終わってしまったんでは、我々の先輩たちに申し訳ないのではないかと思います。我々は、佐治さんはじめ、たくさんのおもしろい人たちの遺伝子を引き受けているんだから、それを受け継いでがんばっていきたいと私は思っています。
実は、私、今写真に出ています淡路島で花博をしました。淡路島で想定入場者450万人ていうことで、淡路島に夢舞台というのを作っていたときに、兵庫県からプロデューサーやれと言われてやった博覧会が、3000円の入場料でしたから、単純計算して135億かかったと思っていました。実際は697万人来まして、だから250万人分オーバーしましたので、私は相当儲かっているんだなと思いました。兵庫県に250万人の3000円ですから、75億円が残った。まあ、75億円も残ったと思っていませんでしたけれども、「相当残りましたね」と言ったら、20億円しか残っていないという。それでも、少なくとも20億以上残ったんですね。それをまちづくりにも使っているのでしょう。こういう博覧会を大阪でもしませんかという話をしました。私は建築や設計の仕事をしておりますけども、大阪にはもう十分に施設がありますので、その施設がいらない博覧会をしませんかということです。それと同時に街が美しくなってくると家を建て替えようかとか、川沿いがきれいになってきたら川沿いの敷地にマンション建てましょうかという風になってきますので、そういったことも含めて、美しい大阪というものを作らないといけないと思いました。
そこで、大阪城ですね。大阪城と河川を活かした博覧会をしませんかと。と、言いますのは、淡路島というのは、行きにくいところです。橋を渡らないと行けません。そこに700万人来たのだから、大阪城なら単純には2000万人以上は来るだろうといわれています。桜も咲いているので、この辺と川沿いを活かして、花の博覧会をしませんかと提案をいたしましたら、大阪市と大阪府はそれでいいだろうということで話をしています。 |